​医療法人社団 洪庵会の基本理念

三つの悲しい事があります

「私の心には三つの悲しいことがあります。」

一つ目はどうしても治らない患者さんに何もしてあげられない悲しさです。

二つ目は、お金のない患者さんが、病気のことだけでなく、お金の事までも心配しなければならないという悲しさです。

三つ目は、病気をしている患者さんの気持ちになって医療していたつもりでも、本当は病気をしている患者さんの気持ちにはなれないという悲しさです。

井村和清先生の病院での最後の挨拶です。

それからほどなく先生は亡くなります。この最後の挨拶をされていた時も骨肉腫にて片足は切断され、杖をついて立ってのお話でした。

この時にはすでに先生の全身はがん細胞に侵されていました。​両肺は癌の転移で呼吸さえままならない状態でした。

医学生へ、医学を選んだ君に問う

医師を目指す君にまず問う。

高校時代にどの教科が好きだったか?
物理学に魅せられたかもしれない。英語が得意だったかもしれない。しかし医学が大好きだったことはありえない。

我が国で医学を教える高校はまだないからだ。

高校時代に物理学または英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか?
物理学に魅せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。君自身が医学を好みか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねばならない。

結論を急ぐ。授業が面白くないからと言って、授業をサボることは許されない。
医学が君にとって面白いか否か全く分からないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任である。


次に君に問う。

人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか?

万一「将来、経済的社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想起できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。
​それが出来ないなら早々に転学すべきである。


さらに問う。

奉仕と犠牲の精神はあるか?

医師の仕事はテレビドラマのような格好のいいものではない。
重症患者のため連夜の泊まり込み、急患のため休日の予定の突然の取り消しなど日常茶飯事だ。
死に至る病に泣く患者の心に君は添えるか?
君に強く求める。医師の知識不足は許されない。
知識不足のまま医師になると、罪のない患者を死なす。
知らない病名の診断は不可能だ。知らない治療をできるはずがない。
そして自責の念がないままに「あらゆる手を尽くしましたが、残念でした」と言って恥じない。
こんな医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。
医学生は、「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない。

君自身や君の最愛の人が重病に陥った時に、勉強不足の医師にその命を任せられるか?

医師には知らざるは許されない。
医師になることは、身震いするほど怖いことだ。


最後に君に問う。

医師の歓びは二つある。

その1は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びが、すなわち医師の歓びである。
その2は世のため人のために役立つ医学的発見の歓びである。


​今後、君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしよう。君の神技の恩恵を受けうる患者は何人に達するか?

1人の診療に10分の時間を掛けるとしよう。1日10時間、1年300日、一生50年間働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。多いと思うかもしれない。しかしながら、世界の人口の中では無視し得るほど少ない。
インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。
しかしバンチングとベストがインスリンを発見して以来、インスリンは彼らが診たことがない世界中の何億人もの糖尿病患者を救い、今も救い続けている。


その1の歓びは医師として当然の心構えである。
これのみで満足せずその2の歓びも体験したいという意志を培って欲しい。


真の心の平安をもたらすのは富でも名声でも地位でもなく、人のため世のために役立つ何事かを成し遂げたと思える時なのだ。

​前金沢大学病院長 河崎一夫先生

加藤清正の石垣

名古屋城建築の際、
ある大名の築いた石垣が崩れてしまった。

清正の部署の石垣だけはビクともしなかった。
土木の名人である清正に縋ったところ、

機密事項に該当する石垣の普請を
清正はその帳幕の中に
招き入れ十分に視察を許した。

清正の石垣が崩れないのは当たり前で、
表面に見える石垣の裏で丹念で
入念な仕事がなされていた。
「なるほど、私どもがやった工事の手間の十倍はかかっている。普請とはこうゆうものか」
それ以降、その大名は清正をたいそう尊敬するようになった。

洪庵会の嘱託医の仕事は
かくありたい。

清正の石垣は我々の生涯をかけた指標である。